新月の願い事なんて、本当に叶う? なぜ月なの?なぜ新月でないとダメなの?

「新月に願い事をすると叶う」…なんて、本当?

「新月の願い事は叶う」。
この記事を読まれている方は、どこかでそんな話を聞かれて興味を持っているのではないでしょうか。
でも、新月に願い事をするだけでその願いが叶うなんて、あまりにも都合が良すぎて、にわかには信じがたいもの。
気になるけれど、そんな子供っぽいおまじないみたいな話を鵜呑みにするなんてバカみたいに思えるかもしれません。

自分の力を超えた願い事は、誰に聞いてもらえばいい?

でも、そもそも願い事というのは自分ひとりの小さな力ではどうにもならないことを、神様とか運とか、自分の力を超えたものに「叶えてください」とお祈りするようなものです。
例えば、テストで自分の勉強したところが出ますように、とか、明日雨になりませんように、といった日常的で些細なことであれ、もっと大きな夢であれ、誰でも一度は「どうか○○してください!」と心の中で嘆願したことがあるはずです。
特別に信仰している宗教などがある人は、その神様に向かって様々な願い事をするでしょう。
でも、そうでない大多数の人は普段信じても感謝してもいない神様とか、あるいはなんでもかまわないから何らかの力に向かって願い事をしていることになります。

願いを叶えるのに、月の力を借りて何が悪い?

それなら、その願い事をそんな漠然とした対象ではなく、空に確実に輝いているお月さまに向かって唱えてみても、何もおかしくないはずです。
それも、ピンチに陥って大慌てで雑にお願いするのではなく、しかるべきタイミングで丁寧にお願いしてみましょう。
もしあなたが誰かにお願い事をされるとして、こちらの都合関係なしに突然電話で「これお願い!」と乱暴に要求を叩きつれられるのと、ちゃんとタイミングをみはからって、「実は、これをこうしたいと思ってるんだけど、あなたの力を貸してくれない?」と丁寧にお願いされるのと、どちらが協力的な気分になるでしょうか。

新月に願い事をするということは、怠けて何もしないこととは違う

新月に願い事をするということは、後者の態度をとるということです。
自分で努力するのが面倒くさいから、お月さまに叶えてもらうということではありません。
自分の力だけではうまくいかないこと、もっと大きな力の助けが必要なことに対して、謙虚な気持ちで「力を貸してください」とお願いすることなのです。
宿題や仕事を自分でしたくないからといって、友達や同僚に頼んでも誰も聞いてくれるはずがありません。
でも、自分で努力しても、一人の力ではどうしようもないことならどうでしょう。
自分がどうしたいのか、なぜそうしていのかを相手にちゃんと伝えて、「あなたの力を貸して欲しい」と頼めば、その人が手伝えるタイミングであればきっと助けてくれるはずです。

お願いをする対象はなぜ月なの?なぜ新月なの?

でも、なぜお願いをする対象が「月」で、そのタイミングはなぜ「新月」なのでしょうか。
圧倒的なエネルギーを持った太陽ではダメなのでしょうか。
月はいつだって空に存在しているのだから、新月でなくてもよいのではないでしょうか。
そもそも「新月に願い事をするとその願いが叶う」なんて、誰が何を根拠に言い始めて、なぜ今も、世界中でそれを信じて新月に願い事をし続ける人が大勢いるのでしょうか。
科学的な根拠のないことは、ことごとく「迷信」や「まやかし」として追放してきてはずの現代においてさえ、です。

月の存在や、満ち欠けを意識しなくても生活できる現代

新月に祈りを捧げるといった習慣は、人類の歴史の中でも相当古くから存在していたようです。
現代に暮らす私たちのほとんどは、月灯りのありがたさと美しさをほとんど意識することはありません。
街中も家の中も、電気の光でいつだって明るくしていられるからです。
月が満ちていようが欠けていようが、その姿や灯りの違いによって日常生活に影響を感じることはまずないでしょう。

月とともに夜の闇を過ごしてきた、人類の長い長い歴史

でもそんな生活が当たり前になったのは、長い長い人類の歴史の中で、ここわずか数十年のことに過ぎません。
それまでの何百万年もの間、私たちの祖先は月の灯りだけを頼りに真っ暗な夜を過ごしてきたのです。
見事に夜の闇を照らす満月の夜と、月がすっかり夜空から消えてしまう新月の夜。
その違いは彼らにとって、現代の私たちには想像もできないくらい大きかったはずです。s

月の影響や力を敏感に感じていた私たちの祖先

だからこそ人々は、月が自分たちや、自分たちを取り巻く環境にどんな影響を与えるかを非常に敏感に感じていたはずです。
それにそもそも、彼らには「すべてを自分たちの力でコントロールできる」という発想がなかったはずです。
自然が荒れ狂えば、なす術もなくその脅威に飲まれざるを得ない。疫病がはやれば、その終息を神様にひたすら祈り続けるしかない。
現代の私たちから見れば原始的で、とても考えられないことかもしれませんが、そうやって生き延びてきたのが私たちの祖先です。

自分の力ではどうにもならないことに対して謙虚でいる

「自分たちの力は小さい、コントロールできることはごく限られている」ということを重々承知していた人々。
そして月の力を身近に感じ、神秘的でかけがえのない存在として畏怖の念を抱き続けていた人々。
彼らがとりわけ「月」を願いを叶えてくれる存在ととらえ、特に「新月」が願いを叶える力を持つと考えていたのは、明確に言葉で説明できる「根拠」や「理由」があったからではなく、無意識的かつ経験的なことからだったのでしょう。

「月」は私たちの「無意識」の象徴

「月」はそもそも、私たちが意識することができないけれど確かに存在しているもの、つまり「無意識」の象徴でもあります。
一方「太陽」は、その反対に私たちの意識、自分で何かをどうにかしようとする、「意志」のようなものを象徴しています。
ですから、自分の力=意志だけではどうにもならないことを、それとは正反対の存在=無意識に委ねるということと、月に願い事をするということは密接につながっていると言えます。
潜在意識や無意識と呼ばれるものの力を借りて、願望や目標を達成する、といった話を聞かれたことがある方も多いと思います。

新月は「生まれ変わり」の特別な日

そしてもう一つ不思議なのが「新月」というタイミング。
なぜ他の月ではなく、新月なのでしょうか。
これもおそらく、私たちの祖先は理屈などではなく、経験や直感で新月こそがすべてを新しく始めるタイミングであることを知っていたに違いありません。
新月とは、月が一度死んで新たに生まれ変わる「再生」の記念すべき一日です。
人の誕生日が特別で、その日に生まれたことを祝うのと同じように、新月は特別な日なのです。
そして私たちの誕生日は一年に一度だけですが、月は約29日に一度生まれ変わり、その度に新しいサイクルが始まるのです。

科学的な根拠なんて、何もないけれど…

月の力、特に新月が新しい始まりを意味し、何かを真剣に願う人にその願いを叶える力を与えてくれる。
それは確かに「科学的」ではない考え方です。
迷信、子供じみたおまじない、と一笑に付されてしまっても仕方がありません。
でも、それは長い長い人類の歴史の中で、ずっと私たちの無意識に刻み込まれてきた、何か大きな力に対する謙虚な気持ちと、理屈では説明しがたい事実を表しているのかもしれません。
そうでなければ、あらゆる迷信がすたれてしまった現代において、なぜいまだに「新月の願い事」を信じ続ける人たちがいるのでしょう。

とにかく「新月の願い事」を自分で試してみよう

そもそも、願い事が科学的である必要なんでありません。
重要なのは、人が自分の成長のために真剣に何かを願う気持ちです。
その願いを叶えるために、新月の力を借りてみましょう。
何も損することはありませんし、誰かに公言する必要もありません。
合理的で生産的なことばかり求められる生活の中で、根拠はないけれど何かを信じてみる時間がほんの少しあったっていいはずです。

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